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「AI時代到来と建学の精神、そして監査業務」早稲田大学 公認会計士稲門会 会報34号

早稲田大学 公認会計士稲門会の会長として、会報34号(平成29年6月1日)に寄稿いたしました記事を掲載いたします。
下記よりぜひご覧下さい。

「AI時代到来と建学の精神、そして監査業務」  渡辺 俊之  (昭和43年第一商学部卒業)

1、大隈重信公の人気
 公認会計士稲門会の会長を仰せつかり3年目に入ろうとしています。当然の事ながら早稲田大学というものを強く意識し、建学の精神やら佐賀出身の大隈重信公が、何故長崎の地方役人から、中央の世の中に認められていくようになり、二度も総理大臣になったのかに関心を持たされます。
佐賀の大隈記念館にも足を延ばしました。
神田川の北側の丘(南側斜面)には川を見下ろす権力の館である、山縣有朋邸(椿山荘)、細川家屋敷跡(永青文庫)、田中角栄元総理邸、鳩山一郎元総理邸(鳩山会館)が建ち並びます。
大隈公が何故なぜ山縣邸から見下ろされる神田川の南側の低地を選んだのか?
興味が湧いてきますが、その庶民性故に、山縣有朋公の葬儀の10倍もの会葬者(30万人)があったという人気の秘密があったのかもしれません(ちなみに吉田茂氏の戦後初の国葬は3万5千人)。 

2、早稲田大学の建学の精神
 会計研究科の卒業式では例年公認会計士稲門会の会長として祝辞を述べています。他大学からの入学者が殆どで早稲田大学の校歌さえ知らない人が沢山います。
 そこで建学の精神を見直し、これからのAI時代にどう向かうべきかの話もしました。
今更ながらですが建学の精神は、1「学問の独立」、2「学問の活用」、 3「模範国民の造就」となっています。
大隈重信公は得業式兼東京専門学校創立15周年での祝辞で、 社会に出た後に失敗をしても、失敗をしても、勇気をもって経験を重ね続けること、そして学問を通じて知恵を磨くことの重要性を説いています。
アリババの創始者ジャック・マーも同じことを言っています。「失敗は成功のためのひとつの過程に過ぎない。それを心得ることが、成功者に近づくための第一歩である」と。
3の「模範国民の造就」というと古めかしいイメージですが、高田早苗学長風に言えば「ジェントルマン」たれということのようです。

3、人工知能(AI)の時代の生き方
「模範国民の造就」を考えるにあたって、AIの第一人者である松尾豊東大教授の講演を思い起こします。
知識とか知能は、ウェブ検索で幾らでも探せるので、頭の中に入れておく必要はない。外国語も学ぶ必要なく日本語で喋れば、そのまま相手は母国語で聞ける時代になり、相手の表情をも読みながらの議論が母国語同士ロボット翻訳で、できるようになるという。 翻訳は人間よりAIの方が上になるとのことです。
そして司会者が質問しました。自分の子供に何を学ばせますか? 教授曰く「一生役に立つスキルを身につけるのは、もはや不可能です。コミュニケーション能力を身につけ、人間性を磨かせるには、野山に行って遊んでこいと言います」と。すなわち 人格形成こそ重要だということでした。
 このことはAI時代に要求される監査人にも当てはまります。

4、AI時代とこれからの監査業務

 最近「人工知能が公認会計士に及ぼす影響」という研修を受けてみました。
 原則的には試査を前提として育っている我々世代の公認会計士。しかしAIの時代になると精査が当然だとその講師は言います。
 証拠書類もすべてデジタル化され、当然に取引の裏付けとなる証拠書類も全点チェック。
 リードスケジュールとか分析的手続きも当然に自動化。預金や売掛金等の確認も電子データでの直接確認。
 さてこうなると我々の業務はどのように変化するのでしょうか?
 
5、職業的懐疑心と監査人の聖人化
 会計不正の根本原因への監査対応との関係で「職業的懐疑心」というキーワードへの関心が集まっています。昨年の福島研究大会でも議論されました。
「職業的懐疑心」という言葉は紳士的かつ抑制気味な表現ですが、言葉を換えれば「人を見たら泥棒と思え」、「性悪説」、「胆大心小」、「七度尋ねて人を疑え」、「治に居て乱を忘れず」とかに置き換わりかねません。
 一方、被監査会社役員等とのコミュニケーションの重要性もより一層に問われています。
 リスクやガバナンスにかかる情報等の非財務情報の入手についても積極的にかかわる必要性が問われます。職業的懐疑心は心底にありながら、経営者等の懐の中に入り込まなければなりません。内部統制やらコーポレートガバナンスの範囲外の事象への対応も必須となっています。
 
このような対応スキルを身いつけなければこれからの監査は難しくなるかもしれないと痛感します。
さて監査人たる公認会計士としてはどうすればよいのでしょうか?
建学の精神である、学問の独立の過程を経て、実務での失敗をも恐れることなく、学問の活用をされてきている公認会計士稲門会の諸氏。
 三つめの建学の精神は、大隈公や高田早苗学長の時代から激変してますので、私なりに無責任ですが、提言させていただきます。
「人格円満な聖人であれ」しかし「聖人たれ」を全員に求めるのは無理なので「洞察力を備えた人間性豊かな人格者たれ」と変えます。
ただしコミュニケーション能力が高く、人格が円満だけではだめでしょう。ガバナンス外の事象への洞察力、適正処理への指導力・説得力をも兼ね備えた人格者像が求められるのかもしれません。
 と、ここまで書きましたが、いまだ現役で監査業務を行ってはいるものの、この業界からの退出を求められそうな年齢に差し掛かってしまいましたので、無責任ですがそろそろ言いっぱなしにして筆をおきます。