会長の部屋
CHAIRMAN'S ROOM
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The NINTH TIMES VOL.5 渡辺俊之 平成13年9月
(The NINTHとは? 第九 →つまり 沖縄の唄者第一人者「大工哲弘」師匠を囲む全国ネットワークの会 )
六本木しまうたの会~島唄の解釈いろいろ~
(56才当時 機関誌原稿)
全国の沖縄ファンの皆様 こんにちは。
東京の六本木しまうたの会(通称六島)の「とし鍋」こと渡辺俊之と申します。
私は、入会して丁度一年になりますが、ますます沖縄唄三線の世界にはまりこんでしまいました。
六島には会員専用の掲示板があります。現在55人が登録されており、配信開始は99/01/07で、01/06/30現在までの約2年半で8891通を数えています。
1日平均10通になります。なにか行事でもあるとすぐ20通以上にもなってしまいます。
そこで最近の話題を1,2 ……
◎ 06/29 07:01 PM「今日のちゅらさん」
>で、ビギンが「竹富島で会いましょう」演っていました。いい歌だね
>駒ちゃん工工四あったらコピーさせてね コテツ
◎ 06/30 02:55AM「RE:今日のちゅらさん」
>???ん?なぜわたし? もってないよ。
◎ 06/30 05:58 AM「竹富島で会いましょう工工四BYきくりん」
>まいど,さぼり魔きくりんです。
>コテっちゃんのリクエストのあったBI>GINの「竹富島で会いましょう」
>の工工四を送ります。NHKのスタジオパー>クで演奏したときのものを耳コピ
>したものです。
メールの配信時間を見れば分かるように11時間後には、工工四がWEB上で全員に見られる状態になるといった具合です。
東京はもちろん沖縄も含めて、ライブ情報・沖縄料理店情報・その他演奏の技術的な話等々で盛り上がってます。
勿論発言しない「読むだけ」の人も沢山いますが、「座間味でクルージングしませんか?」なんて問い掛けると、初登場のメンバーがいきなり挙手してきたりして、この意外性がまた楽しい。
六島活性化の原点はこの掲示板にあるわけで、かってこのMLの役割を、
①情報速報機能
②情報共有機能、
③集団催眠機能、
④共感助長機能、
⑤会員疎外機能、
⑥相互補完機能、
があるなんて堅苦しい議論もしたことがありました。
さて沖縄本島の「てんさぐの花」、八重山の「デンサー節」は親が子に対しての教訓歌ですけど宮古の「なりやまあやぐ」は妻が夫を諭す教訓歌ですね。
六島では今年の2月頃の課題曲でした。
この歌の解釈は「沖縄の歌100選ベスト10の解説(P22)」によると、
「馴れた山でも気を許すな
乗馬の際は手綱を緩めるな
若い娘達の所へ行くときは気を許すな
馬は白馬が、娘は色の美しいのがよい
押し寄せる波は笑いかけてくる
私の愛しい人も笑顔で迎えてくれる 」
となってます。
また「五線譜による沖縄の民謡」暁書房の解説によると
「人事百般何事も深入りしすぎてはいけない。
例えば馬に乗るにしても馬の良し悪しに拘わらず
手綱を緩めては怪我のもとだ。
また特に注意すべきは女性で、 決して女に心を許しては いけない。
男のしくじりはそこからはじまるのだ。」
と説かれている実に有り難い「あやぐ」なんです。
四番の歌詞に
サー馬(ぬうま)ぬ美(かぎ)さや
白(しる)さどぅ美(かぎ)さ
美童(みやらび)美(かぎ)さや
色どぅ美(かぎ)さ
とありますが「琉球民謡解説集上卷(P173)」の対訳によりますと、
馬が美しいのは 白いのが美しい
娘さんの奇麗なのは色白いのが美しい
とあります。これについてもいろいろ六島MLで議論されましたが、これに関して、わが六島の那覇特派員で宮古出身の「尻尻大王」こと譜久村氏より、下記のML返信がありました。
以下「尻尻大王」こと譜久村氏メール引用
>さて、六島の皆様、「なりやまあやぐ」に>は、元唄があり、現在の唄は、
改詩改作さ>れたものであることが判明しました。
宮古郷土歴史研究家の上田長福氏によると
この唄は、城辺村内で唄われていたそうです。
現在の唄とどこが違うかというと
例えば、 馬ぬかぎさや白さど美さ(現在) は・・・・
馬ぬかぎさや赤馬ど美さ(元唄)
だそうです。白ではなく赤だったそうです。それでは、
なぜこういう風に変わったかというと、昭和天皇が皇太子だった
1935年に宮古馬を宮内省が三頭買い上げたのだが、その内の
一頭が白馬であり、美しいと評判になりそれが、唄の赤馬の部分
を白さに変えたいきさつだそうです。
これは、働き者の赤い農耕馬が、白のモデル馬に負けたようなもんですね。
また、みやらびかぎさや色どかぎさ(現在)は・・・
「ぶなりゃ(女性の名前)のかぎさや17、18ぱだ(元唄)」
訳すると、「ぶなりゃちゃんの美しさは17、18の娘の肌様だ。」 と・・・
つまり、色が白いのがよいとか、赤いのがよいというのではなくいつまでも、
若若しいのがよいということになるのです。
現在の唄をつくりあげたのは、古堅宗雄(歌い手)、友利明令の二人
だそうですが、元唄は、もともと男女のかけあい唄で、
内容がとても卑猥(エロチック)なため、人前で唄うには、
はずかしく、又、工工四にのせにくい音であったたために改良を加えたそうです。
それが、いつのまにか教訓唄として広まり現在に至っているそうです。
きっと元唄は、とし鍋さんの期待しているような、内容だったのでしょうね。
その元唄を歌える人が、今や、二人しかいないそうです。
そこでやはり六島掲示板で議論していたときのものですが、わたしなりの勝手な解釈を掲げましたので、ここに再掲します。
皆さんのご批判を仰ぎましょう。
とし鍋風の解釈(私の妻から私への教訓歌)
(1、2) 慣れきった仕事だからといって、
手を抜いちゃーだめですよ。
常に冷静に対処しなさい。 貴方!
(3) 慣れた車の運転でも、ハンドルはしっかり握ってなさいよ あなた!
まして酒飲んだら、運転しちゃだめですよ。
と同時に、「飲んだら、乗るな!」です。
六島に行くと、若くて奇麗な娘がたくさんいるようだけど、
心を許してはだめですよ 貴方!!
(4) 白いベンツはかっこいいし、
小麦色で、肌のピチピチとして奇麗な娘は、良いに決まってるけど、
物事外見だけで判断してはだめですよ。 貴方 !
(5)私の美貌だってまだ、衰えてないんだし、
ちょっと、その気になれば、私に言い寄ってくる若くて、
逞しい男は、一杯いるんですよ。
貴方が、外の女にうつつを抜かしたら、
私だって、考えがあるわよ。ねーあなた。
ところで「肝がなさ節」も三線の世界に入り込んだ人の大部分が唄う曲ですが、
「沖縄の歌100選P14」での解説によると、
「人を裏切った苦しさがあり、
人に裏切られた哀しさがあり、
夢と希望を一杯膨らませて
人を愛したり愛されたりした、昔があり、
夢と希望も親しい人も財産も、
全てを失って地獄を彷徨ったこともあり。
働いて働いて子供達を育て上げた誇りもある。
そして人の心の傷みを 知る人間になる。」
「肝がなさ」とはこんな男と女の「愛」の事である。このように泉知行氏は
解説してます。
しかし「沖縄は歌の島」ウチナー音楽の500年(藤田正著・晶文社P243)
によると「間違って歌えば濃厚なラブソングになるところをよ辺愛子の
声に即した軽やかでかわいい曲感がその匂いを消している。」
と言っているように、本来、この歌は、男と女の「愛」のテーマの部分と
、男と女の「性」をテーマにしている部分とがあると思います。
これに対する「とし鍋風勝手解釈」を六島掲示板では試みましたが、
公開を憚れますのでここまでとします。どなたか渡辺淳一風タッチで
解釈文載せてください。