会長の部屋

CHAIRMAN'S ROOM

世界三大仏教遺跡と癒しの古都を巡るミャンマー 平成17年8月

世界三大仏教遺跡と癒しの古都を巡るミャンマー5日間 平成17年8月
1、協同組合の貴重な旅の企画
2、ミャンマーの印象と空港の様子
3、悠久の大地とパゴタ遺跡
4、シュエダゴンパゴダと一般庶民の暮らし
5、突然の停電と天井壁滑落
6、戦いの終り「ヤンゴン」とクーデターの新聞記事

原稿のカラー写真画像は  ↓ ダウンロードをクリック

ダウンロード


世界三大仏教遺跡と癒しの古都を巡るミャンマー5日間  渡辺俊之

1、協同組合の貴重な旅の企画

「百聞は一見に如かず」と昔から言われていますが、「千聞は一見にしかず」、いや「万聞は一見にしかず」としか表現しようもない位の三大仏教遺跡のミャンマーの旅でした。
仏教遺跡の圧倒的存在感は、言葉では語りつくせないし、撮ってきたビデオの映像を見てもらっても、我々一行が体感し、脳裏に焼きつかれて、こびり付いた印象は説明しようもありません。文章で紀行文を記したところで意味が無いので、ここで筆を擱きます。
いや、いや、しかし与えられた紙幅を埋めなければならないので続けることにしましょう。
さて、ビルマの竪琴の小説や映画で何となく親近感を描きながら、いろいろな制約があって行く機会のなかったミャンマーでしたが、昨年の中国黄龍・きゅう賽溝の世界遺産視察に続いての協同組合の貴重な企画にすぐさま飛びつき、20人のツアーの一行に加わることとなりました。よく見るとかなりのメンバーが昨年の同行メンバー。夫妻での参加、それに息子夫婦や、親娘での参加それぞれ個性あふれる愉快なメンバーと共にそこそこの強行スケジュールをこなしながら、何のトラブルもなく無事帰国しました。

2、ミャンマーの印象と空港の様子

さて軍事政権下の社会主義国ミャンマーは日本の面積の1.8倍、5400万人の人口で135の民族からなる国、中でもモンゴル民族系のモン族の流れの人が多いらしい。そして首都ヤンゴン市は600万人の人の住む町で賑わっています。
我々一行がヤンゴン空港につくと顔の一部に白いものを塗っている女性たちが入国審査。
顔の白いものは「タナカ」というお化粧でミャンマーの女性は皆この化粧姿。この空港がまた凄い。まだ「建設仮勘定」なの?という表現で失礼をも省みず描写してみたい。
入国審査も成田や他の諸外国のイメージでは説明できない。フィリピンのセブ島の空港も味わいがあったが、入国審査だけは、一種の緊張感があった。ここの場合はちょっと人目が外れれば、簡単に入国できそうなくらいのガードの甘さを感じたのは私だけだろうか? 国の玄関口である空港を出たところの光景も想定外でした。
公式交換レートと闇交換レートでは180倍もの違い。少し前までは1ドルが450チャットであったのが現在は1ドル1050チャットということで物価変動が著しく、お金を持たずに物を持つ傾向があるという。

3、悠久の大地とパゴタ遺跡

2日目(8月26日金曜日)は、パガン遺跡群観光へと、朝5時ホテルロビー出発。
ヤンゴンからニャンウーへ1時間20分の国内飛行機移動。アーナンダ寺院、シュエジーゴンパゴダ等々11世紀から13世紀にかけて都として栄えたバガンには約400万のパゴダと寺院があったといわれていますが、現存するのは2300ほど。しかしまとまった地域に密集して建つあの平原の中、馬車を連ねて観光していると、「恐れ入りました」としか言いようが無いんです。
何が恐れ入ったのかというと、宗教に対する一般大衆の「思い入れ」に対して感銘すら覚えるのです。
バガンのシュエサンダーパゴダからの360度の眺望。悠久の時間が流れる大地の中に点在するパゴダの時間を超えた存在感を我々一行の脳裏に刻み込まれたのでした。
さすがカンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドールとともに世界3大仏教遺跡といわれるだけのことはありました。

4、シュエダゴンパゴダと一般庶民の暮らし

3日目(8月27日土曜日)は、ニャンウーからヤンゴンに戻り、「ビルマの竪琴の舞台」パゴー観光(ヤンゴンの北東70km)。シュエタリャウン寝仏の圧倒的な大きさはビルマの竪琴で描いたイメージをはるかに超えていました。
ヤンゴンとパゴー間に素焼き壷を作る集落に立ち寄りました。素焼きの陶器一つ作ってオーナーからもらう金額が7円という陶器の製造工場に働く女性やその集落に住む幼い子供たち、そして観光客目当てに纏わりつき土産物を売る子供たちの目からは、成熟社会に突入してしまった日本人をどのように感じているのでしょうか? 物質的な豊かさに目が移ろいがちな日本人からすると、心の豊かさをもつことができる幸せを感じ取れたのでした。
今回の旅の一番の印象は、金色に輝くシュエダゴンパゴダ(ヤンゴン市外の北)。連日のパゴダ巡りで、もうパゴダは飽きた、と思いつつ大小あわせて60余りの塔に囲まれた大パゴダに一歩踏み入れて、唯ただ絶句。強烈過ぎるほど人を引き寄せる力に圧倒されました。

5、突然の停電と天井壁滑落

民族舞踊を見ながらのアジアンビュッフェを楽しんでいた時のこと。大雨の中、突然停電。 間髪を入れずI先生から「駄目よそんなところに手を入れちゃ、、」の一言。このグットタイミングのせりふに皆大笑い。 真っ暗闇の中ああだこうだと噂話をすうちにまた突然点灯。すかさず「なんだこんな顔してたのか!もっと美人が手を入れてきたかと期待したのに!」とのセリフ。下半身の艶っぽい話になると突然目をさますI先生の独壇場となったのでありました。
そんなたわいのない会話のキャッチボールの後、天井の壁が滑落。怪我人こそ幸い出なかったもののテーブルの周りは大変。バイキング料理を取りに行っていて災難を逃れた最長老のT先生いわく。「そんな予感がしたので席を離れたんだよ。」と一言。さすが予知能力抜群の最長老のT先生でした。

6、戦いの終り「ヤンゴン」とクーデターの新聞記事

1948年(昭和23年)ビルマ連邦共和国として独立。1962年(昭和37年)ネ・ウィン将軍率いる軍事クーデターの後、社会主義化が始まって1989年英語表示の国名もビルマからミャンマーへと変更。
私達の世代はビルマの首都はラングーンと言ったほうが馴染みあるんでしょうが、18世紀にはこの地をヤンゴンと改められています。
ヤンゴンの「ヤン」とは「戦い」の意、そして「ゴン」とは「終り」の意味だそうです。
つまり戦争の終結という意味の町の名前なのです。
軍政下なのに殆ど軍人さんを見かけませんでしたが、帰りの飛行機の中で我々が出発した8月25日の朝刊を引張りだしてきたO先生曰く「ミャンマーでクーデターあったの知ってる?」この言葉にはドッキリ。
しかし現地は全くの平穏無事、日本に帰ってきても誰も心配してくれた気配なし。
この国は本当に「ヤンゴン(戦いの終り)」なのか首を傾げながら帰国したのでした。