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今回は、「ライブドア監査人の告白」という書籍の読後感をすこし長文になりますが書かせていただきました。
書籍名 ライブドア監査人の告白 ― 私はなぜ粉飾を止められなかったのか ―
著 者 田中慎一 (ダイヤモンド社 2006年5月 1600円)
目次
1、はじめに
2、著者の立場
3、この本を読んでもらいたい人達
4、粉飾決算のスキームと旧来型粉飾との違い
5、公認会計士監査と期待ギャップ
6、監査技術の限界と良好な監査環境の醸成
7、おわりに
東京本部 公認会計士 渡辺俊之
まず、このようなライブドア事件が起きてしまったこと、そして公認会計士がそれを防げず、結果として粉飾に加担してしまったことは厳に責められなければならないと考えている。
サブタイトルは「私はなぜ粉飾を止められなかったのか」となっている。
しかし拾う必要のなかった火中の栗をわざわざ拾いに行った著者の姿勢には敬意を表したい。
会計処理の粉飾時には監査責任者ではなかったこと、監査責任者になった後、投資事業組合(粉飾隠しの巧妙なスキーム)を解散させたこと等も考慮されたのか、他の会計監査人は逮捕されているが著者は逮捕に至っていない。
この本の中身は、会計のプロ、そして財務諸表監査に携わるものにとっては非常に興味ある内容といえる。
そして会計に素人の方、そして税務会計に比重のある税理士の方や会計事務所職員にも是非読んでいただきたい。
私どもの行っている監査業務が本質的に抱えている問題点の一旦位はご理解いただけると感じる。
株式交換による企業買収の会計処理について、継続性の観点から持分プーリング法を採用し、かつ監査人もそれを認めていたライブドアに対して、パーチェス法への変更の記述のくだりは、コーポレートファイナンスという分野を知り尽くした証券会社出身の著者でないと、その株式交換の本質の理解と理論的背景に基づいた説得はできないだろうし、会計事務所職員にも理解できないかもしれない。
全体像が俯瞰できるようになった事後においては、何故、資本取引が、売上計上されたのか、つまり自己株売却益還流スキームのツボや、キューズネットやロイヤル信販に対する意識的架空発注、架空売上計上の監査現場での対応状況等がつぶさに記述されている。
これらの粉飾のスキームの詳述も興味ある部分である。山一證券や長銀、カネボウ等の、過去の粉飾事件が倒産回避型が動機で、手法も、費用の繰延、損失隠し、架空う売上げ計上であるのに対して、ライブドアの場合は、時価総額を拡大するための自己顕示型の粉飾動機で、手法もキャッシュインは現実にあるものの、資本取引を損益取引に偽装したり、預金残高は増加するものの、実態の伴わない売上計上だったりする点で旧来型粉飾決算と趣を異にしている。
著者は「あとがき」の中で述べている。
「、、、、私はライブドアの監査責任者として、自らの社会的責任を果たすべく、なぜ堀江氏、宮内氏らの暴走を止めることができなかったのか、また、どのようにして彼らと対峙してきたのか、といったことに関して、“監査人”の立場から、著書にして説明を行う必要があると考えていました。
、、、中略 、、、医療ミスを犯した医師が自らの医療チームの過失を馬鹿正直に世間に対して逐一説明することと同じで、タブーそのものであり、同業者に言わせれば愚の骨頂という指摘を受けるかもしれません。 、、、 後略 、、、」
記述されていることが真実であるという前提で感想を述べさせていただければ、「愚の骨頂という指摘」をする公認会計士はいないでしょう。「よくぞここまで詳しく書いてくれた。」と申し上げたい。
我々の業界には「エクスペクテーションギャップ」という言葉がある、不正の摘発の為に公認会計士に監査を頼んでいるのに、期待したとおりの結果がでていないではないかとのお叱りを受ける。つまり「期待ギャップ」である。
「「不正の摘発」が監査の第一目標ではないんです。」と言ってみたところで、監査論を学び、骨の髄まで、財務諸表作成の二重責任の原則が染み込んでいる公認会計士にしか、そのことは理解できない筈。
監査をしている会社から報酬をもらっていること自体がおかしいのではとの指摘は常につきまとう。
公認会計士としては、「会社から報酬をもらっているのではなく、株主からもらっているんです。」といっても監査の本質論から説いていかないと、理解できない人が多いでしょう。
しかしこの本は「監査の限界」について、適切にクローズアップしている感じがする。
ファンドの正体を「盗み見」(経理請負会社への往査での目的外資料の入手)という「禁じ手」の監査手続きでその実態を解明せざるを得なかったと、著者は言っている。
法律違反に基づく強制捜査や、税務当局による査察等の手段が使えない、言葉を換えれば、監査手続きに限界のある公認会計士監査の場合は、監査会社との信頼関係がないと監査の実効性は失われる。
すべての事象について事前に相談いただき、駄目なものは駄目といった指導ができる環境が前提になるのかもしれない。(当局指導型から自己管理型に変わった金融検査の「マニュアル」でも会計監査人による厳正な外部監査が前提で、常に事前指導ということが金融監査マニュアルに色濃く表現されている。)
それは経営者と監査責任者及び監査実施グループとのよき人間関係から生じる監査受入環境が重要と感じている。その前提として、監査人自身の人格と独立性と倫理観に確固たるものが存在していなければいけない。
それにしても、ロイヤル信販等に対する架空売上取引は、騙されていたとはいえ、本に記述されている部分まで迫りながら、何故もう一歩の踏み込みがなされなかったのだろうかとの疑念は沸いてくる。
著者はライブドアのことを「監査対応の悪い会社つまり監査軽視の負の遺産が出来上がってしまった会社」と捉えている。
いずれにせよどのような監査環境であろうが、公認会計士監査の社会的役割とその公共性を考慮するならば、財務諸表作成の二重責任論や期待ギャップ論、監査の限界論云々を持ち出すのではなく、与えられた使命をまっとうするしかないといえる。
著者は結果的に逮捕ということにはならなかったにせよ、事件を未然に防げなかったという事実を重く受け止め、この事件を契機に公認会計士の資格を返上したという。
当然といえば当然であるが、正義感あふれ、豊富で様々な経験を有する著者であれば、また別の世界で活躍できる資質を持っているものと拝察する。身近にいても仕事の中身が分からず不安な思いだけを抱き続けていたであろう奥様の心労は如何ばかりであったのだろうか。なお私と著者は面識が一切ないことを付言しておく。
東京本部 公認会計士 渡辺俊之